そういうこと、か

昔、結婚に失敗した。

23区内にちょっとした資産を持つ家の長男だった。

 

資産は戦後の米軍による土地接収による利権等の補償を元に得たもの。

義母はとにかく 資産家 であることをことさら鼻にかけていて 貧乏人の私を見下していた。

自分の実家と婚家は同業で 決して裕福とは言えない家業だったのに。

 

貧乏な私の家は やはり同じくらいの世帯収入の県営住宅住まいで 近所で付き合いのある人たちも 資産争い や 介護問題などの世間的には大問題と言われるようなトラブルを抱えた人はいなかった。

「持たない者」同士 表面を取り繕うような付き合いはせず お互いに納得できる礼儀を尽くしてきた。

まして ぼんくらな私は そういう世間の一般常識な処世術を知ることもなく高校卒業後 就職した。

まだ 高卒が一般的で 女子大生ブームが起こる少し前の時代。

 

訳あって 男性が怖かったし、女性であることに自信もなかった私も 就職先が男性が多い会社だったお陰でいくつか恋愛をして

狭い人間関係に囚われ(世間知らず)結婚相手を安易に選んだ。

冷静に考えれば 私には「ムリ案件」ってハッキリしてるのに 「二人で乗り越える❗」みたいにテンプレお花畑。

 

付き合っている頃は「 親思いの優しいヒト」だったけど 結婚・同居してみたら

「親離れできないただの坊っちゃん

「跡取りだから 姉妹(立派な相手と結婚済み)の関係もオレが仕切るっ!」

のはっちゃけ長男坊。

 

嫁イビリは ビンボーな嫁sage 自慢の娘たちageは当たり前。

あとは 跡取り息子タンがビンボー嫁に優しくしてるのが気に入らなくて やたら突っかかってくる。

あとは 料理やら何やら とにかく 存在が面白くない。

まぁね。気持ちはわからなくもないけど

22才の世間知らずには すべてがストレスなんだけど 何がストレスなのかわからなかった。(ドンカン)

 

ある日、誰もいない家で言われた。

「昔から 三年子無きは去れ って言うんだよ」

その時は (ふ~ん そうなんだ)としか思わなかったけど なんかそれを言ったときの顔がいやに意味ありげだったのを思い出した。

あぁ、そういうことか。

いやいやいや。

跡取り とか言いながら

同居しなきゃ とか言いながら

跡取りとして最重要である「子作り」を

まっっっっったくしないのはオタクの坊っちゃんですけど?

その前に 歩くだけで床が軋む夫婦部屋の真下に両親が寝てるんですよ?

どんなプレイをお望みで?

 

陰で表で

「子供ができないのはオマエのせい、財産狙いのビンボー人」

呼ばわり&扱い。

 

元旦那は完全2交代制勤務で昼勤も夜勤も同じ労働時間。

婚家の言い付けで 正社員勤務の私とは 1週間毎にしか顔を合わせない。

実質 同じ寮でルームシェアしている状態。

で 元旦那の居ない週はいつも姉妹家族を招いて宴会。

寮費は二人合わせて毎月15万。

私はともかく。

隔週毎に開かれる宴会のゴージャスなメニュー。

元旦那、口にしてないどころか全く知らない。

まぁ 知ったところで みんなが良ければ良いと思うヒトだからねー。

そこで嫁がどう扱われてるかなんて 思いもしないだろうねー。

「おにーちゃんはやさしい」もんねー。

 

この事だって別れてから気づいた。

ったく 自分のぼんくらさにがっかりした。

23才でスッゴい白髪になった。

生活のすべてがストレスになってるなんて自分では気づいてなかった。

 

ずっとこんな風に生きていくんだろうな。

子供が生まれたとしてもいいように扱われていくのかな。

それとも子供ができれば強くなれるかな。

 

とりとめもなくそんな風に考えながら過ごしていた。

 

環境が変わる出来事やこんな下らない愚痴に付き合ってくれた当時の同僚、そんな姿に釘を刺してくれた同じ部署の男の子・・・。

そのひとつひとつを言葉にするには いくつ言葉を尽くしても言い表すことが出来ない感情がありすぎる。

反省も諦めも憤りも感謝も。

もうすべてのことはただ「幼かった」

今はとにかくその一言にこめて。

 

Google EARTH

たまたま 元婚家の付近の施設を見ていたら

思いがけず 元婚家の近影があった。

もちろん、キレイに建て替えられてた。

相変わらず裕福な様子に 今の己の姿の惨めなことに少なからずへこみながら

 

因果応報って言うけど 今の私は彼らから見たら「ウチに傷を付けたヤツの末路(笑)」に見えるんだろうか、などと落ち込んでいた。

でも、どう考え直しても あの結婚生活の継続 の選択肢は出てこない。

人の資産をあてにする考えなど 資産を手に入れられたかも知れなかった経験があった今でもサラサラ思い浮かびもしないこと。

世間体のために見栄を張る必要を感じないこと。

見栄を張ろうと思える世間体を手にして居ないってのもいかがなものか、とは思ってはいるのよ。

 

今日。

私の今の姿は因果応報、成れの果てなのかって ずいぶん落ち込んでいたんだけど。

不意にこんな思いが浮かんできた。

 

GoogleEARTHで見た元婚家の画像。

あそこに元旦那が新しいお嫁さんと子供たちに囲まれて幸せに暮らしているなら。

私との出会いは彼にとって苦い経験だったけど そのあと出会った人とは 幸せなら

それはきっと元旦那の相手は「私じゃなかった」ってこと。

私がそうだったように その頃の彼も若かったんだもん。

 

時間の流れの中で様々経験するけど

どんなに嫌な経験でも そのあとに繋がる何かをきっと得ているはず。

私はぼんくら過ぎて せっかくの経験値をつかみ損ねているらしく 何度もへんな経験を積んでいるけども。

でも、あの頃のようにストレスをストレスと気づかずにただ過ごしていた日々から抜け出せたことは幸せ。

 

さっきまで 元旦那は幸せになっているのに・・なんて正直惨めに思ってたけど

「一緒にいることだけが正解じゃない」って納得できた。

これまでの経緯をなぞり直したら うまく文にできなくてせっかく降ってきた「納得」の輪郭がぼやけてしまった(苦笑)

 

私の現状はともかく

私と別れたことが正解で

今は幸せになったヒトがいますよってことで。

きっと彼にとって 今の幸せを得るためには

私との苦い経験が必要だったのだろうな、と。